« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月

新しい出会い・・・

3月29日(土)

 今日も勤務だ。年度末も近づき、事務職員にとっては多忙な日々だ。

 年度末は、別れと出会いの時期でもあるが、これまでブログに記してきたように自分にもいろんな別れと出会いがこの春にある。

 今日、我が家の下宿に、3月13日のブログに記した新入生kanが入居した。母親とともに荷物を持ってやってきた。まだ入学前だが、もう今日から練習に参加するらしい。

 2,3年生も、中国遠征からおととい帰国し、今日下宿に戻ってきた。中国人留学生の帰国はまだだが、しばらく静かだった下宿にまた活気が戻る。また妻には大変な思いをさせるな。どうかよろしくたのむ。

 さっき、練習から帰ってきたkanの顔を見てきたが、やはり不安は隠しきれない感じだ。そりゃそうだ、中学卒業してすぐ親元離れて暮らすなんて、そりゃ心細いよ

母親の話では、こちらに来る道中、kanは帰りたくてしかたなかったらしい。母親もかわいい娘を置いて帰るのはつらかったと思う。

kanにとって今日は忘れられない別れと出会いの日になっただろう。無理しないでがんばってほしい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

春の雪・・・

3月28日(金)

 今日は何の日か?

 はい、私めの誕生日でございます。

 今朝、私を含め家族の誰もそんなことは思わず、自分も職場の朝の打ち合わせで今日の日付を見て初めて気付いた。自分で思わず吹きだしてしまった。

 その上、私は自分の年齢を間違えていた・・・!私は自分で☆6歳になるものと思っていたが、手帳にある年齢早見表を見たらなんと☆5歳だった。妻が私より1年早いため、妻の年齢とダブってしまっていたのだと思う。ちょっと得した気分になった。

 その今日、ここ高山ではなんと雪が降った。ほんの一時だったけれど、白いものが確かに降っていた。東京では上野公園の桜が満開だと朝のTVでやっていたが、高山は雪。そう、高山の3月はまだまだ春のほんの入り口だ。ここ一週間、日中はずいぶん暖かだったけれど、朝晩はまだまだ寒くてストーブもしまえない。梅の蕾ですらまだ固く、桜なんてまだまだ先だ。

その雪が私の誕生日を祝ってくれた。ありがとうよ。心も懐もおまえのように寒いぜ。

しかし、寒がりの父が暖かい病院にいるときに降ってくれてよかった。父が自宅だったら風邪をひいていたかもしれない。

そうだ、その父を夜見舞った。病室が近づくとパンパンと顔をたたく音がした。父がいることを感じさせる音だ。アトピーが顔に出てかゆみでいつも顔をたたくのだ。そっちも全然よくならない・・・かわいそうになってくる。

入院二日目、看護婦さんの言うことを聞かず、早くも外出したいとわがまま言っているようだ・・・同室の人にも迷惑をかけなければいいが・・・そんな心配ばかりが先立って、ついつい父への口調もきつくなってしまう。すまないと思いながら・・・

 しかし、病院の神経質さがちょっと気になる。転倒やベッドからの転落を極度に心配して「転倒防止についてのお願い」という一種の念書のようなものにサインを求められた。確かに今の父は心配だとは思う。点滴してることを忘れてそのままトイレに行こうとしたりしてるようだから・・・。だけど、すぐそこのトイレに行くのに付き添いがいるほどフラフラじゃないとも思う。父も、トイレに行くのにいちいち看護婦なんか呼べるか!自分で行けるワイ!である・・・。しかしまだ入院二日目だからね。しかも脳梗塞の疑いだ。まだ何が起こるかわからないという病院の心配もわかる・・・。

とにかく病院には頭を下げるしかない。どーか、よろしくお願いします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

父の再入院・・・

3月27日(木)

 今日、父が再入院した。

 今度は脳梗塞(疑い)だ・・・

 今日理事会が始まる直前に母から電話があった。今朝から手術した右目が横を向いてしまい斜視のようになってしまったらしく、おどろいて眼科に通院したら、すぐに脳外科へ回されたらしい。その時点では詳しくわからなかったし、会議が始まる前だったので一旦電話を切り、妻に病院へ行ってもらった。

 会議終了後、妻に電話すると、脳梗塞の疑いがあり入院することになったらしい。本人は頭痛や自覚症状がなく歩くこともできるし、緑内障での入院からまだ一ヶ月も経っていないこともあり、入院はすごく嫌がったようだ。それに、医者もMRIの結果はっきりした脳梗塞の症状が見られなかったため、入院でも帰宅でもどちらでもいいというようなことを言ったらしい。しかし、父はまっすぐに歩けずふらふらしたため、母が懇願して入院してもらうことになったようだ。

その判断は正しかったと思う。そんな状態で帰宅して転倒でもされたものなら母はたまったものではない。それに以前から小さな梗塞の痕はあると町医者に言われていたのである。やはり入院してしっかり検査してほしい。右目だけが横を向いてしまうなんて絶対脳になんらかの異常があるとしか思えないし・・・。

夜、病院へ行った。当然ながら父は元気がない。ただただ入院となってしまったことが情けないようだ。人一倍気丈な父だから入院すること自体が耐えられないのだと思う。

よくわかる・・でも、しょうがないぞ、おやじ。今年はそうゆう年なんだよ・・・早い退院となるかもしれないから、しっかり診てもらってくれ。

また明日から病院通いが始まるな。そうだ、きれいな看護師さんを探すことを楽しみにしよう・・・

| | コメント (2) | トラックバック (0)

人事考課制度・・・

3月27日(木)

 昨日、久しぶりにブログの書き込みをサボってしまった。なぜか昨日は帰宅後にたいへんな疲れを感じた。なぜなのか原因はわからないが、とにかく猛烈な眠気に襲われ風呂にも入らずに眠ってしまった。

 そして今日。今日はウチの法人の理事会・評議員会だ。20年度4月からの事業計画と予算を審議が主な議題だった。

 20年度からウチの法人は人事考課制度を導入する。仕事の出来具合に応じて一人ひとりの給与が決められる。これまでのように一律の給与表で一律に昇給する、ということはなくなる。人事コンサルタントを入れてこの1年間をかけて検討・研修を行ない、いよいよ20年度から本格導入の運びとなった。今日の評議員会でも予算審議の中で最終的な説明がなされたが、今日唯一質問の出た案件だった。質問は2件出されたが、いずれも不安視する意見だった。今ただでさえが職員が不足しているのに、そのような制度を導入して人材の確保が本当に図られるのか?かえって職員が定着しなくなるのでは・・・本当に正しく評価がされるのか・・・

福祉職員が激務の中にいることを理解され、心配しての質問だったと思う。

私自身もこの制度は不安である。全体として余分な仕事が増える。評価するほうもされるほうも、職員全員がである。書くことも増え、評価のための面接する時間も確保しなければならない。ただでさえが皆疲れているのに・・・

私個人的なことも言わせてもらえば、私はいわゆる脂の乗り切った時期はすでに過ぎている。もうばりばりと仕事をするようなことはできない。

私は7年前に人の3倍は仕事をしたと自負している。あの年は地獄だった。特に3ヶ月間一日も休みなく帰宅は毎日夜10時11時、時には朝の3時4時ということも何度もあった。あのときは私がやらなければ誰もやってくれなかったので必死だったし、まだその気力と責任感があった。しかし、そのような無茶はするべきでない。自分にとって家庭を犠牲にしたツケは大きかった。追い討ちをかけるように法人内に様々な事故や事件が起き、自分だけでなく法人全体が傷ついた。そんな状況で充実感など得られるはずがない。心がとんがって人間関係にもつまづいた。今思えば自分が鬱傾向になり始めていたのはそのころからだ。

 今の自分は、そのときをピークに下り坂。情熱が冷めてないといえばそれは嘘だ。心機一転がんばろう!なんてエネルギーがあるのかどうか自分でもわからない・・・

 だから、自分としては、人事考課制度の導入は精神的にきつい。

 目の前の困難から逃げるな・・・さっき、長男のryoに言った言葉だけど、やっぱ人から言われると腹立つな・・・人には逃げるななんて言いながら自分が一番逃げようとしてるな・・・

・・・と、いつもの愚痴でございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブログ開設 一ヶ月経過!

3月25日(火)

 うっかり忘れていたが、23日でこのブログを開設して一ヶ月となった。

 えー、まだ一ヶ月しか経ってないの?ってのが正直な実感だ。もうずいぶん長くやってるような気がする。

ま、これまで人様のブログはけっこう読んできたから、‘ブログを見る’ってことへの馴染みはあったんだけど。

 しかし、一ヶ月が経って、自分の中でブログがけっこう大きな存在になっていることに気付く。日々の暮らしは、現在もブログを始める前も何も変わってはいないけれど、その何気ない暮らしの中で、自分の意識が‘ブログに書けること’を探している。

 これまで、‘日記’に何度か挑戦したことがあるが長続きしたことがない。しかし、ブログはなんとなく長く続けられそうな気がしている。その決定的な理由は、やっぱり‘他人に見られているかもしれない’ということだろうか。普通の日記は基本的に他人に見られることはないというか、見せないのが普通だ。(学校の宿題の絵日記とかは別だけど)でも、ブログやホームページってものは他人に見られる可能性があるというか、基本的に他人に見せるためにある。その‘恐怖’というか‘緊張感’がけっこう「快感」であることが最近実感としてわかり始めた。

 このブログを読んでくれている人は確実に一人はいるけれど、まだその人と家族以外で私がブログを始めたことを話した人はいない。だから、他人には読まれてないって安心感と、でも知らない誰かが偶然読んでるかもしれないという恐怖感・緊張感。ブログを始めたときは、そのことが実感としてわかってなかったから、それを理解した上で‘続けられるかも’と感じているのは、自分にとってそれがある種のストレス発散であり、つまりは「快感」となっているからなんだと思う。

 でも現時点で、まだ他人にこのブログのことを話すつもりはない。トラックバックなんてしたこともない。そもそもその自信がない。と言うより、自分の中では、他人に読んでもらうということよりも、日記としてのデータを残すってことに大きな意義を感じている。このブログの唯一の読者で私の師匠であるFさんからも「データの蓄積こそが財産だ」とご教示いただいた。だからまだまだ今の状態でいいと思っている。

しかし、Fさんみたいにまったく知らない人からコメントなんか付けられた日にゃぁ、なんてお返事したらいいのかおおいに悩むだろうなあ。いつのことかはわからないが、その日はまた特別な記念日となるんだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

迷惑かけた・・・

 3月24日(月)

 昨日の休日が行事だったため、なんか月曜日という感じがしない。体に疲れが残っていた。こんな日は要注意の日なんだろうが、昨日までけっこういいことが続いていたから、その勢いでなんの不安もなく出勤した。

 しかし、今日は最悪の一日となってしまった。土曜までに仕上げていた20年度の予算書に間違いがあったのである・・・。事務長が気付いてくれた。私の不注意によるものだった。

今朝は、全事務員が集まってその予算書の製本作業の日なのだ。だからその作業に入る前に修正して印刷をかけないといけない。出勤早々から、間違いの追求と正しい数字を出す作業に追われた。

また、大量の紙を使って印刷していたものが、間違っていたことでパーになり、破棄処分しなければならなくなった・・・・

なんちゅうか、天国から地獄へたたき落とされた気分だ。

私の性格を熟知する事務長は、ホントははらわた煮えくり返る思いだったろうが、やさしく対応してくれた。私はきっと不機嫌が顔や態度に出ていたと思う。そのへんに私と事務長の人間性の差があると思った。

私はいつまでたってもだめだ・・・鬱である・・・

| | コメント (1) | トラックバック (0)

二つのお別れ会・・・

3月23日(日)

 今日は日曜だというのに朝から大忙しだ。今日は、高山ジュニアバドミントンtaguti特練の中3生のお別れ会の日だ。例年、小学校6年生の親が役員を勤めるため、19年度はウチも役員だ。だから朝からその準備でばたばたしていた。今年の6年生の親は元気のいい人たちが多く、夏のデイキャンプやお楽しみ会、お別れ会などは事前の準備からおおいに盛り上がる。

 今年のお別れ会は、午前にボーリングをして、その後福祉センターに移動してお楽しみ会という、内容盛りだくさんの企画となった。6年生のお母さんたちは、一ヶ月以上も前から様々な準備をしてきた。

 まず、ボーリング大会の賞品である。賞品がよければ、みんな必死でがんばるやろう!ということで、会員の親さんで事業者の方からスポンサーを募ることにした。4社が協力を申し出てくれた。K味噌醤油醸造㈱、飛騨Y味屋、中華そばのG里、O付商店だ。それぞれが豪華賞品を提供してくれた。感謝である。それでも、やっぱりみんなに景品があたるといいということになり、全家庭に景品となるような不用品の提供を求めた。すると集まる集まる、全員に2個づつくらいはあたる数の景品が持ち寄られた。それを新聞紙に包んで景品とした。車一台では運びきれない量だ。

 そして、10時からボーリング大会が始まった。2008_0323200803230078もう開始前から大盛り上がりだ。

4~5人で1レーン使用して16レーンまでジュニアが使った。ほとんど貸し切り状態で、まわりを気にせず大騒ぎだ。あちこちから大歓声があがる。私は、ボーリングそのものはあまり好きではないが、がんばってプレイした。

 私の隣のレーンに妻がいたが、ナント調子よさそうなのである。となりから歓声が上がると、たいがい妻がストライクを出していた。フォームなんてど素人だし直感的に投げているのだろうが、いいところへ玉が転がるようだ。それとやはり賞品がいいから家計を助けるためにがんばったのかもしれない。私は惨憺たる結果だったが、でもみんなも似たようなもんだった。

2ゲームの合計得点で順位を出してもらった。

結果発表は食事の後にすることにして次の会場へ移動した。2008_0323200803230087役の親たちがテーブルやお弁当、お菓子、景品等をきれいに準備してくれていた。もう子どもたちは腹が減って食べたいばかり、あっという間に平らげていた。

その後ボーリングの結果発表は大いに盛り上がった。1位から順番に発表したが、名前が呼ばれるだびに大歓声である。私の妻はなんと2位だった。うそやろー!妻はK味噌醤油のお醤油セット賞品を狙っており、2位ならばそれが獲れると思って楽しみにしていたら、別の賞品があてがわれてしまいずっこけていた。ちなみに私は45位だった。もらった賞品はスポーツソックスだった。

しかしおもしろいもので、バドミントンでは全国へ行く子もボーリングではたじたじで、そろって下位に沈んでがっくりしていた。笑

その後のレクレーションも大盛り上がりだった。2008_0323200803230102 大人も子どもも大笑い、役のお母さんたちはおもしろいゲームを考えてくれた。

あっという間に時間は過ぎ、最後に卒業する中3生たちに一言づつ挨拶してもらって、コーチにもお話してもらって、終了となった。2008_0323200803230108

 

今夜は、もうひとつ別のお別れ会があった。

 それは、この3月いっぱいで事業が終了することとなった、Fホームのお別れ会だ。椿屋という上品なお店が会場だった。

 このFホームは私にとっては思いで深い施設であった。5年前まではその施設の事務を執っていて仕事として関わりがあったが、近年は個人的にホームと関わりを持ってきた。制度的になかなか手厚い援助が困難なホームであったが、実は手厚い援助を必要としている人が多かった。その人たちに少ない職員ではなかなか十分な生活援助はできない。職場や通所施設で様々な問題を起こしたが、それも無理もないこと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 朝などは世話人が付けないため、施設の夜警員さんが交代で援助に入ってくれた。この夜警さんがまたいい人たちで、たいへんな入居者の朝の世話を、男手ながらがんばってやってくださった。みんな朝、仕事や通所に遅刻せずに行けたのは夜警さんのおかげである。入居者のKくん(自閉症)があいさつで「夜警さん、ありがとう。朝起こしてくれて、毎朝見送ってくれた」と言ってくれた。Kくんがそんなことを言ってくれるなんて、思わず涙がこぼれてしまった。

 会は、ホームの閉鎖とともに退職する園長のお別れ会も兼ねており、ホームのみんなから園長に記念品を贈った。そしてお世話になった夜警さんと世話人さんのIさんにもお礼の記念品と花束を贈った。

みんなが、たくさんの思い出を語ってくれて、それぞれがホームにそれなりの思い入れを持っていてくれたことに胸が熱くなった。本当に淋しくなる・・・。2008_0323200803230133

 でもこれも時代の流れ、今の福祉の制度では運営が困難な事業は淘汰されてしまう。そこに利用者がいても、ただ振り分けられて、はいさようならだ・・・まったく、やさしくない今の日本の社会保障制度にはうんざりさせられるし、ウチの法人の力のなさ、自分のふがいなさを感じる。

4月から、それぞれ別のホームに移動となるが、あたらしい環境に早く慣れてほしい。いろんなむつかしいことが起こるだろうが、いろんな人の力を借りてなんとか乗り越えてほしい。

さようならFホーム!また会おうなみんな!元気でな!いつでも遊びに来いよ!

今日は、二つの対照的なお別れ会だった・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

感動した、泣いた・・・最後の卒業式⑤おまけ

 式典が終わり、その後写真撮影となった。児童と保護者が入ると、一クラスでもけっこうな人数となる。2008_0321200803210063

ウチらは2組なので、1組の撮影が終るのを待っていたが、もう、私も心が落ち着いていた。祭りの後の緊張感の抜けたような、なんともいえないこの感じは、そうだ、LIVEがすんだあとに感じた心地よい虚脱感と同じ感覚だ。全体の雰囲気もくだけた感じとなって、子どもたちなどは卒業証書の筒で頭をたたき合ったりして楽しんでいる。

 撮影がすんで、教室へ移動した。最後の先生の話と、みんなの歌だ。また、涙腺ゆるみモードに突入だ。I先生もしんみりと最後の話を子どもたちにしていた。I先生は風貌からして体育会系だが、学生時代は陸上の短距離選手だったらしい。中学校の最後の県予選のときのこと。これまでの実績から自分は東海大会への出場圏内であると自負して向かった大会であったが、周りの異様な雰囲気に呑まれてしまって、早くこの場から逃げたい、早く終りたいと思ってしまったらしい。8位までが東海大会進出できるが、結果は9位。8位との差はコンマ1秒だった・・・。敗因はただひとつ、試合前から逃げたいなどと思ってしまったこと、結局あきらめてしまったことだと。みんなには決してあきらめないで最後までがんばってほしい・・・そんな話だった。最後は涙をこらえていた。

 その後子どもたちから花束を贈呈され、みんなで歌を歌った。もう、子どもたち全体的にはあまりしめっぽい感じはなかったが、式のときも泣きじゃくっていた男の子は一人泣いていた。後で聞いた話だが、卒業生のほとんどはM中学校へ進学するが、その子はN中学校へ行くらしい。だからみんなより‘お別れ感’が強かったのだろう。私はこの子のように、がまんできず泣いてしまう子は大好きだ。すごく愛おしくなってしまう。

 玄関で在校生たちが待っているらしく、放送で退場を促され、先生が廊下に並ぶよう指示し子どもたちも動き出した。でも私は教室でもみんなが入った写真が撮りたくて、「先生、最後にここでみんなで撮りましょう」と提案した。親も保護者もみんなが同意してくれて、子どもたちが黒板前に集まった。2008_0321200803210078

親たちの大撮影会になった。こどもたちは「どっちを向いたらいいのー?」なんて言いつつもみな満足げだった。その後は友達同士や先生と撮り合ってけっこう楽しい時間となった。

2008_0321200803210081 そんなこんなで少し遅れて退場となった。玄関前の廊下に在校生と教職員が並んで拍手で送ってくれた。

外へ出ても別れを惜しんで、なかなか帰ることができなかったが、最後だからいいだろう。

我が家の、最後の小学校卒業式がこれで終った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

感動した、泣いた・・・最後の卒業式④  謝辞・・

 まだ、会場は静まり返っている。司会のU先生が「保護者お礼のことば」と言って私の名前を呼んだ。

よし!行くぞ!

 私が立ち上がると同時に保護者全員が立ち上がった。ばらばらとでなく、全員が一斉に立ち上がったことが背後から感じられた。保護者みんなが私を後押ししてくれているように感じた。もうここまでくれば緊張もくそもない。前方に向かって歩く間、会場の視線が私一点に集まっているのを痛いほど感じた。なのに私の心は快感に近い感情に包まれていた。なんと心地よいことかと思った。一種のトランス状態というやつだろうか?

 教職員の列の前まで来た。おもむろに謝辞の包みを取り出した。

 以下が私のしゃべった「謝辞」である。恥ずかしながらここに記録しておきたい。

お礼の言葉

 柔らかな日差しが暖かさを増し、雪深いこのS宮の地にも春の訪れを感じる頃となりました。

 本日ここに平成19年度S小学校の卒業式を迎え、卒業生79名の保護者を代表いたしまして、お礼の言葉を述べさせていただきます。

 本日は、私どもの子どもたちのために、厳粛かつ盛大な卒業証書授与式を執り行っていただき、誠にありがとうございました。校長先生をはじめ、すべての教職員の皆様に、保護者一同、心より厚く御礼申し上げます。

 また、来賓の皆様におかれましては、公私共にお忙しい中御臨席を賜りまして、誠にありがとうございました。皆様からいただきました心温まるお祝いや励ましのお言葉は、卒業する子どもたちの胸に、深く刻まれたことと思います。

 そして只今、校長先生より卒業証書をいただく子どもの姿に、万感の思いが胸に迫ってまいりました。今、改めて子どもたち一人ひとりの顔を見ますと、6年前の入学式のまったく幼い面立ちから、ずいぶんしっかりした頼もしい表情に成長していることに気付きます。身長が伸び、体格が大きくなるとともに、心もめざましい発達を遂げた6年間でした。

思い起こしますと、子どもたちはこのS小学校でいろいろな行事に参加してまいりました。5年生の乗鞍青年の家でのセカンドスクール、6年生春の京都・奈良への修学旅行では、目を輝かせて生き生きと帰ってきた我が子に、もう話を聞かずとも、すばらしい体験ができたんだなあと実感いたしました。また、夏の運動会では、先生と子どもたちがひとつになって、勝っても負けても抱き合いながら人目もはばからず号泣する姿に、私たち保護者も忘れていた熱いものが甦り、こみ上げてくるものを抑えることはできませんでした。秋の陸上記録会でも、少しでもいい結果を残そうと、毎日放課後の校庭に残り、みんなで一生懸命がんばる姿は、今も目に焼きついています。冬のスキー教室では、指導に同行した私どもに、思いがけず子どもたちから感謝の手紙をいただきました。たいした指導もできなかった私に、一人ひとりが心のこもったお手紙を書いてくれて、思わず胸が熱くなりました。このような感動的な行事や日々の授業を始め、すばらしい学校生活を考え実践してくださった小学校、O先生、I先生に心から感謝申し上げます。子どもたちの命を預るご心労たるやいかばかりであったかと、手を合わさずにはいられない思いです。

また、様々な危険がこどもたちの身に降りかかるのを未然に防ぐために、スクールサポートでご尽力いただいたPTA役員の皆様、早朝から交通安全やパトロールに立ってくださった地域の皆様のお力なしに、今日のこの佳き日を迎えることはなかったことと思います。心から感謝申し上げます。

 子どもたちは、溢れんばかりの思い出を胸に、今日この学び舎を巣立ってまいります。多くの皆様のおかげでこの門出を迎えることができましたが、この先この子たちが歩んでゆく道は、決して平坦で穏やかなものとはいえません。この国では、子どもたちが夢や希望を叶えにくい社会になりつつあることも現実であり、ひとたび世界に目を向ければ、戦争やテロで、罪のない子どもたちの命が奪われていることもまた現実であります。こうした苦難の時代の中で、悩み多き年頃となっていく卒業生たちですが、このS小学校で培った熱い心と生きる力で、力強く乗り切ってくれることと確信しております。S小学校の先生方には、誠に勝手ではございますが、今後もこの子たちを暖かく見守りお声掛けをいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

 最後に、S小学校の益々のご発展と、すべての先生方のご健勝とご活躍を心より祈念し、お礼の言葉とさせていただきます。

2008年3月21日

卒業生保護者代表

ひむらー 

 途中、何度か涙で声が詰まったが、最後までしっかり心をこめて読むことができた。学校や先生への感謝の気持ちは十分に伝えられたと思う。満足だ。

 終って席に戻った。なんともいえない快感がまだ体を包んでいる。卒業生の退場となり、すべての式次第が終ったが、自分はこの感覚の余韻にしばらく浸りたかった。しばらく席を立たずにいると、何人もの保護者が声をかけてくれた。みな一様によかった、感動した、泣けました、と言ってくれた。私はもう涙は出なくなっていたけれど、そのときは世の中のすべてのものに感謝したい気持ちでいっぱいになっていた。

 どうなるかと思った謝辞であったが、やはり一生懸命、謙虚にがんばれば、なんとかなるものである。たかが卒業式の謝辞であるが、自分には一生忘れられない思い出となった。お受けして本当によかったと思っている。

 帰って聞いたkanaの評価も上々であった。「でも、すごく手が震えとったよ」というご指摘付きで・・・笑

| | コメント (1) | トラックバック (2)

感動した、泣いた・・・最後の卒業式③

 kanaは一番前のほぼ中央にいた。2008_0321200803210041

在校生は3年生以上で、送る言葉も歌も感動的だった。壇に並ぶ卒業生も泣いている子がちらほらと。こちらも胸が熱くなって涙が溢れてきた。自分の肩が泣けて震えているのがわかる。もうだめだ、どうしよう、俺にはまだしゃべる仕事がのこってるのに・・・

 卒業生の別れの言葉に入った。卒業生一人ひとりにせりふがある。一人男の子で涙がこぼれて仕方のない子がいた。ハンカチでぬぐってもぬぐっても涙があふれ、しゃくりあげて泣いている。もうこちらも涙涙だ。2008_0321200803210045Y施設に入所している子も何人もいる。 俺は声を上げて泣きたくなってきた。

歌は金八先生の「贈る言葉」ともう一曲。きれいにハモっていた。最後まで感動的な別れの言葉だった。

 その後、校歌を斉唱した。校歌を聞いて私自身もこの小学校の卒業生であることを改めて思った。校歌もちゃんと覚えている。自分の卒業式のことを思い出していた。私も泣きながらいっしょに歌った。

 閉会の言葉となり、式は一通り終った・・・。次はいよいよ保護者の謝辞だ・・・

つづく・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

感動した、泣いた・・・最後の卒業式②

 整髪がすんで自宅に戻ると、もうkanaは登校していた。できればいっしょに歩いていきたいと思っていたがしかたがない。

 妻がすごい形相で顔塗りに励んでいた。kanaの支度に思った以上に時間がかかってたいへんだったらしい。私も礼服に着替えた。男は髪と服だけだから楽でありがたい。久しぶりにネクタイ締めてポケットチーフも挿した。ばっちりだ。

 持ち物はカメラと、あと何を持てばよかったかな?そうそう、大事な謝辞の包みを持たないと。 2008_0321200803210001_2 これを忘れたらこれまで何のためにえらい目にあってきたのかわからない。

表の文字は、昨日父にたのんで書いてもらった。本当は文章も墨で書くといいのだろうが、長文であり、ワープロから出力した紙を切り貼りしたものを山折・谷折して作った。学校もそれでよいとのことだった。

妻が準備している間にもう一回読んでみようかとも思ったが、何度も練習したし、改めて読んでへんに迷いが出てもいやだから、もう読まないことにした。しかし、まったく緊張してこないというか落ち着いている。準備にばたばたしていたからだろうか。

 妻も化粧が完了した。よし出かけよう。時間はもう8:20amになっている。もはや歩いて行くのは時間的にムリだ。妻の軽自動車に乗って学校へ向かった。車に乗ってから、朝飯を食べていないことに気付いた。なぜか空腹感がなかった。心は落ち着いているようだが、実は脳は緊張していて食欲を淘汰してしまったのか?

そんなこと思いながらあっという間に学校に着く。急いで保護者控え室へ。急がないといけない理由があった。昨日、学校のU先生から電話があり、保護者謝辞の際に保護者席の保護者全員に起立をお願いしたいが、学校側から起立を要求することはできないので、自分が立つときに合わせて一斉に起立をするよう申し合わせてほしい・・と依頼があったのだ。隣のクラスにもそれを伝えないといけないのでちょっとあせった。しかし、なんとか両クラスに伝えることができて、妻と二人でとりあえずやれやれと席に座った。しばらくすると、職員がやってきて、会場での諸注意を言われた。去年の卒業式で保護者がビデオ撮影等で席を立ち歩いたりマナーの悪さが目立ったらしい。至極当たり前の注意だ。その後会場への移動を促され、体育館へ向かった。体育館には在校生が着席しており、ちょっと緊張の漂う雰囲気になっていた。2008_0321200803210008

 保護者は私の席だけが決められていた。一番前の列で通路に一番近い中央の席だった。コンサートでいえば安い席だけど前の方はけっこう見えるいい席って感じだ。保護者の次に来賓が入場してきた。ウチの法人のY施設の園長や町内会長、近所の郵便局長ら、知った顔が多かった。来賓が着席したら、いよいよアナウンスが始まった。卒業生の入場だ。

手拍子の入場になるのかと思っていたら、静かな音楽の厳かな入場だった2008_0321200803210010_3。I先生も緊張の面持ちだ。

入場してすぐ、卒業証書の授与となった。2クラスで79名の卒業生全員に手渡しである。さすがよく練習したのか、全員背筋を伸ばし堂々として見える。kanaは2組の五十音順の番号も遅いほうなので、ほとんど最後の方だった。kanaも体は小さいが実にしっかりした歩行で壇上に上がった。返事もよかった。 私もだんだん感極まってきた。

 その後の校長先生のあいさつがまた印象深い話だった。今朝、蕗の薹が校庭の土手に出ていたらしく、その蕗の薹の現物を二つ持って話をされた。ひとつは普通に摘んだものと、ひとつは根っことともに摘んできたものだ。蕗の薹の根っこってすごく長いのである。30センチはあるように見えた。2008_0321200803210038 この長い根で冬の間力を蓄え春に花を開かせる。皆も蕗の薹のように長い根を張り、養分をいっぱい吸って、夢を叶えるための力を蓄えてほしい、というような話だった。現物を持って話をされるとなんか説得力があると思った。その後、祝辞が2人続き、在校生の送る言葉となった。卒業生が壇上に並んだ。いよいよ式も佳境に入る。

つづく・・・

| | コメント (0) | トラックバック (1)

感動した、泣いた・・・最後の卒業式①

3月21日(金)

 ついに卒業式の日がやってきた・・・

 今朝は目覚ましが鳴る前に、風の音で目が覚めた。風がびゅんびゅんと音を立てている。物が飛んでいく音もする。まるで台風のようだ・・・

 昨夜は焼肉を食って、一通り準備をして、早めに寝た。たぶんすぐに眠ってしまった。熟睡できた。だから、早く目が覚めたんだろうと思うが、まさか目覚まし時計より先に風が起こしてくれるとは思わなかった。

 うん、寝覚めはけっこうシャキッとしている。あまりの風の強さにすぐ起きて玄関に出てみた。我が家は建物の構造上、玄関前が建物のトンネルのような感じになっており、そこに風が抜けるため、すごい勢いとなる。今朝も玄関前の自転車が倒れ、漬物桶のふたがこんころコーンと風に飛ばされていた。

だが、妻はもうすでに起きていた。目覚ましより先に目が覚めたと書いたが、実はその前に目覚ましで妻が起きて目覚ましを止めていたのだった。結局私は目覚ましが鳴っていたことに気付かず寝ていたということだ。しかし、自分で起きてきた私に「お、めずらしい、やっぱ緊張しとんな!」と早くも一発くらってしまった。

 私は朝ひどいものがある。それは髪の寝ぐせである。なんでこんな形に寝ぐせがつくんだ?ってくらい意味不明の寝ぐせとなることもある。昔、「池中玄太80㌔」という西田敏行のテレビドラマがあったが、あの西田敏行の寝ぐせのようなひどいものである。妻は言う。「あんたも年をとって西田敏行みたいに脂性になったんやさ。」・・・いちいちうるせーんだよ!

 で、19日夜に床屋さんへ行って散髪してもらってきたが、卒業式の朝に髪型のセットだけしてもらうようにお願いしていた。7:30amに行くように頼んであり、寝ぐせの状態で行った。笑われた。ちなみに床屋さんは「大八」だ。大将は、若いのにめずらしい職人気質でECOな床屋さんなのである。私に髭を伸ばすことを勧めてくれた人でもある。今、私はここ以外の床屋は考えられない。

 ざっと10分で別人に仕立て上げてくれた。感謝である。「がんばってくださいね!」と励まされ、気合が入った。よし、行くぞ!8:30amには学校へ行かねばならぬ。いざ・・・

つづく・・・

| | コメント (1) | トラックバック (0)

中国遠征・・・

 ウチに下宿しているバスケット部高校生たちが遠征に出発した。

 遠征地はなんと中国!!今朝3時に学校に集合して出発した。ウチに下宿している中国人留学生の母校で合宿を張るらしい。

 昨日、日本人下宿生の親が来ていろいろ最後の準備をしていたが、親もたいへんである。顧問のU先生も中国人留学生への心配りもあっただろうし、いろいろたいへんななかで中国遠征を実現された。頭が下がる。

 中国人の子達は久しぶりに故郷へ帰れるので、やはりうれしそうだった。大きなトランクケースに日本のお土産をいっぱい詰め込んでいた。しかし、里心が出て帰って来なくなったなんてことにならなければいいが・・・実は一人心配なのだ。その子はそもそもバスケットはあまり好きではない言っており、日本での生活がいやだとこぼしていたことがある。日本での中国の評判がよくないことも知っているかもしれない。なんか複雑な思いだ・・・

遠征は1週間の予定だが、中国人の二人は合宿後にちょっと帰省の日にちをいただいたようだ。4月2日に一行とは別便で帰ってくる。

中国での食事や治安、環境のことなど心配は尽きないが、とにかく、みな無事に帰ってきてほしい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

さびしい食事会・・・

 今夜、久しぶりに私の両親と妻の兄家族と食事をすることになった。

 本当は、明日のkanaの卒業式後に食事会をする予定だったが、明日の夜はバドミントンの練習が入り、急遽今夜やることになった。場所は子どもたちのリクエストで市内の焼肉K大将と決まり、午前中に10人で予約を入れた。

 その後、mikiはバイト、ryoはまたも遊びに出かけた。妻もヘルパーの仕事が2件入っており、フリーなのは私とkanaの二人。kanaに私の謝辞の練習を聞いてもらった。「おとう、泣くかもしれんでな」と言うと、‘もう、恥ずかしいでそれだけはやめて’と言われてしまった。去年の卒業式も誰も泣く人などいなかったとkanaは言う。そうか・・・でも、感情の起伏の激しい私は感極まって泣くか、しゃべりまちがえてふきだし笑いするか、どちらかになりそうだ。練習していてもkanaに聞かれていると、自分がおかしくなって笑えてきてふきだしてしまう。しかし、一人で読んでいると涙が出そうになる。ちょっと感情が不安定になっているかもしれない。

 3時からバドの練習があり、それを送って行った後に義兄と母から立て続けに電話があった。義兄が発熱したらしい。今夜の夕食会はキャンセルとなった。母からは、父もどうも具合が悪く食事には行けないとのこと。今夜はもうやめようかとも思ったが、卒業式後にはなかなか日程が取れず、もう仕方ないので、我が家と母の6人でやることにした。

2008_0320200803200001

久しぶりの焼肉で、肉取り競争が激しく、うっかり写真を撮るのを忘れてしまい、なんか貧弱な焼肉会に見えるが、本当はもっと豪勢に焼きまくったのだああああ!!

 父と義兄家族が来られなかったのは残念だが、子どもたちはそんなことは関係なく食いまくった。やはり、ちっちゃいこと気にせず目の前の現実に向かうことが大切だ。父や兄が病気だろうが、子どもたちのように目の前の焼肉に集中すればよい。なんでもいちいち気にしてしまう私はやはりダメだ・・。鬱・・・

| | コメント (1) | トラックバック (0)

kana 最後の登校・・・

3月19日(水)

 今日は、いよいよ我が家の末っ子kanaの卒業式前の最後の登校だ。

 kanaにとっても最後の登校だが、親の私にとっても、我が子の小学校の登校を見送るのは今日が最後になるわけだ。昨夜から今朝は登校班の子らと記念写真を撮らねばと思っていた。2008_0319200803190002

この6人で登校するのは今日が最後・・・この中に卒業生が3人もいるので、来週からは3人での登校になる。さびしくなるねー。

ウチから小学校までは比較的近く、子どもの足でゆっくり歩いても約10分。短い登校時間だけれど、今日はゆっくり踏みしめて歩いてくれただろうか・・・

なーんて、そんな感傷に浸っているのは私だけ、当の本人はもちろん、家族も他の子たちもドライというか、なーんにも感じてない・・・笑

田園地帯を登校する風景を記念に残しておこう。2008_0319200803190003_2 

実は、今日私も夕方から小学校へ行ってリハーサルの予定だ。先日、本番前に一度リハーサルされたらどうですか?と担任のI先生に言われ、行くことにした。明日が祝日で学校は休みなので今日しかない。退勤後に行くことをお願いした。

 今日は、午後から私の勤務する法人の理事会。きょうの理事会は議題が多く、午前からその資料準備に慌ただしい。会議もいつも以上に時間を要した。私はただの記録係りだが、それでも疲れた。議題の説明をする事務長はもっと疲れただろう。その事務長、なんと明日から千葉で甥っ子の結婚式だそうだ。親戚縁者でバスを連ねて明日早朝から出発らしい。がんばって!

 退勤後、小学校へ向かった。体育館はしっかり卒業式モードに入っていた。座席がたくさん配置され、壁には紅白幕が張られ、準備の教職員さんが忙しく動いており、子どもは誰もいなかったが、緊張感が増してきた2008_0319200803190020

あさっては、この会場で大勢の人の前でしゃべらないといけない。俺はいったいなんてことを引き受けてしまったのか・・・今になって後悔しても遅い。バンドをやっていたころは、ホールで200人くらいのお客さんの前でLIVEしたことは何度もあるが、卒業式にはその倍の400人くらいは集まるらしい。本番は、この真ん中の通路を歩いて前へ出て、向かって左側にいる教職員に向かってしゃべる。先生とともにプチリハーサルをした。どこまで歩いてどっちを向いて礼をするのかなど、一つ一つを教えてもらいながら、自分のすることを一通りやってみた。やはり、しゃべりが問題だ。マイクを通してしゃべると自分の声がぜんぜん違う。うっかりするとすぐ早口になっている。ちょっと長くなるかもしれないが、本番ではゆっくりかみ締めてしゃべろう。やっぱ帰ってしっかり練習しないといけないな・・・

明日が休みでよかった・・・

| | コメント (2)

花粉症・・・

3月17日(月)

 また一週間が始まった。

今週も公私共に多忙である。仕事では理事会、来年度事業計画の取りまとめ等々。週の間に春分の日が入ったりして稼働日数が少ない。

私的には、kanaの卒業式が今週金曜日にある。自分にとっては今週一番のビッグイベントだ。謝辞も文章は概ねできあがった。あとは紙に仕上げるのみだ。

あれこれ考えると気持ちが落ち着かなくなる。だいじょうぶだ、おまえはしっかりやっているぞ!自己暗示をかける。気持ちの切り替えをしっかりして、ひとつひとつを集中してこなしていきたい。

 ところで、今朝から事務長が花粉症になった。我々の事務所の春の風物詩となっている事務長の花粉症である。朝から事務長のくしゃみと鼻をかむ音で春の訪れを感じる一日となった。

しかし、気の毒である。今日は症状が重いようで頭痛もあるようだ。いっしょにいる私やFさんはまったくそんな症状はない。私もアレルギー持ちなので花粉症になるときはなる。だけど、今日現在はまったく大丈夫だ。これは感謝しないといけないな。

事務長には、鼻の痛くならないティッシュをプレゼントしよう。

| | コメント (1) | トラックバック (3)

町内会のゆかいな仲間たち・・・

3月16日(日)

今日は日曜日。もちろん仕事は休み。

午前からmikiはバイト、ryoは遊びに出かけた。残った3人でリビングの掃除。

今の我が家は、掃除のできる余裕のある者、掃除を進んでやろうとする者がおらず、はっきり言ってひどい状態だった・・・我が家の家事はほとんど妻に依存しており、妻が限界のいま、一番後回しになるのは掃除である。これまでいかに妻にえらい思いをさせていたかよくわかる・・・感謝の言葉しか思い浮かばない。kanaも姉兄が遊び(含むバイト)に行っているのによく手伝ってくれた。

しかし、自分のできたことはテレビ前に散乱したVHSとDVD等をかたずけ、テレビ周辺の埃を取り、TV下の引き出しを整理するだけ。あっという間に昼になった。掃除という作業はほんと時間がかかり手間のかかることである。

昼になった頃に久しぶりに母がウチに来た。蕎麦を茹でて持ってきてくれた。しかし、なぜかその蕎麦は今夜食べることになり、昼食は4人で近くのHiryuという中華料理屋へ食べに行くことになった。母が奢ってくれた。ボリューム満点で腹いっぱいになった。

その後、kanaがAピタに行きたいというので、掃除を手伝ったごほうびに行くことした。しかし、3時からバドの練習だ。少ししか遊べないが、姉兄がいないことで生き生きとしてしていた。

その後、母が車のタイヤを交換してほしいと言う。まだ早いのではないかと思ったが、もう雪は大丈夫だろうし、母はほとんど市内から出ることもないし、今後の私の日程を考えると今日やっといたほうがいいかと思い、私だけ実家へ向かい、父母の車のタイヤ交換をした。

実家でタイヤ交換をしていると、暖かな陽気に近所の人たちが散歩に出てきて「久しぶりやねー」と声をかけてくれる。年老いた両親を残して別居してしまったが、近所の方々には感謝の言葉しかない。声をかけてくれた人の中に、以前にお世話になったことがある市役所勤務の歴史家の人がいた。乳母車に孫をのせて散歩していた。孫は1歳半だというが、なんとその子の母親(その歴史家からは息子の嫁)が昨年末に急死していたのだという。知らなかった。「じじばばで育てとるわ」と淡々と語っていたが、その心中たるや察するに余りある・・・。

人は、それぞれがつらい思いを抱えながらも、それを表に出すことなく、本当に地道にがんばって生きているんだなあ。

タイヤ交換後、しばらく母と語らって自宅に戻った。父は長寿会の集まりにいったまま帰ってこず会えなかった。目のほうは落ち着いているようだ。

帰宅後、妻とバドの練習の迎えに行った。いつものようにみんな練習に来て、コーチは指導してくれていた。本当にありがたい日常である。

終了後、子どもたちが70円で借りていたDVDを返しにGEオへ。そして帰宅、家族全員がそろっており、今夜は何もなくゆっくりできると思っていた。

しかし、その後が本日のメインイベントとなる。

近所のS鉄工所のおやじが、なんとエゾジカがとれたから食いに来い、と電話をくれたのである。

え、え、え、エゾジカって蝦夷鹿???そんなん、高山におるんかい???

S鉄工所のおやじは野人なので、山へ行ってはいろんなものを獲ってくる。これまでもイノシシやカモシカや、あとなんやわけのわからん肉をいろいろ食わせてくれた。工場に大きな薪ストーブがあってその上で焼いて食う。

興味を示したmikiとkanaと私とで行くことにした。妻は肉がまったく食えないので聞くまでもないし、ryoは疲れてすでに眠っていた。昼に母が茹でてくれた蕎麦とつゆを手土産に(昼に食べなくてよかった。手ぶらでは行けないからね。)、エゾジカってどんなんや???とわくわくしながら鉄工所へ向かった。

工場には鉄工所のおやじと近所のまた別の野人のおやじがニコニコと待っていた。

エゾジカの焼肉・・・初めて食う。2008_0316200803150031

今まで、いろんな肉を食わせてもらってはいるものの、この工場のいつもの雰囲気と怖いもの見たさ的な感覚で、けっこうドキドキしてしまった。

3人でこわごわ口に入れた。・・・もぐもぐ・・・うん、やわらかいし、生臭くない。けっこういけるぞ。2008_0316200803150033 いままで食わせてもらった肉は、なんちゅーか‘なるほど、これが野人の獲物の味か!’というようななんともいえない味だったが、今日の‘エゾジカ’はいままでこの工場で食した肉の中ではうまいほうの肉であることは確かだ。でも、むちゃくちゃうまいというわけでもない。醤油と塩コショーしか味付けはないし・・・でも普段食べる肉とはまったく別の味と食感だ。

トータルうまかった。卵は鉄工所の親父が育てている名古屋コーチンだ。黄身が広がらず上に向いている。まー、めずらしいものをくわせてもらった。よかった。語らいも楽しかった。

この鉄工所の親父、4月から町内会長である。おおらかな町内である。2008_0316200803150037

| | コメント (0) | トラックバック (0)

落ち着け!・・・

3月15日(土)

朝、普通に出勤。土曜出勤が続く。

午前、事務長が仕上げた本日のU氏葬儀の弔辞を紙に仕上げる。本来ならば墨で書くのだろうが、ワープロから落とした紙を張り合わせて作った。ウチの常務は習字の心得があり、達筆であるが、こういうことはなぜか避ける。大変なのはわかるが、俺は常務が墨で書くべきだと思った。しかし、そんなことを今言ってもはじまらない。紙を貼りつなぐ際に、縦書きだと文章は右から左へ流れるから、紙の張り合わせも右の紙が左の紙の上に来るように貼らないといけないらしい。そんなことは俺は知らなかった。指摘されて作り直した。完成した弔辞の紙を包みに入れて、理事長宅へ届けた。事務長は法人運営委員会。

午後1時、U氏の葬儀。U氏の会社の新工場の2階が広いスペースのホールになっており、そこが葬儀会場だった。2008_0316200803150012 ものすごい数の弔問者である。いったい何人いるんだ?そして凄まじい数の供花。壁や通路はすべて供花で埋め尽くされている。2008_0316200803150008 人の波と供花の列、圧倒されてしまった。葬儀委員長は岐阜4区選出の衆院議員K氏。U氏はK氏の後援会長も勤めていたらしい。坊さんの数はなんと12人。そして全員焼香。焼香の煙が一気に会場に充満した。あまりの焼香者の数に坊さんの読経が終ってしまい、しばらく読経のないまま焼香の行列だけが動いていた。その後弔辞。ウチの理事長は3番目だった。前二つの弔辞がいまひとつだったこともあり、内容といい時間といいすごくよく感じた。こんなすごい葬儀になるとは知らず、1時間で終るだろうと思っていたのが2時間にも及んだ。2008_0316200803150010

実は2時から人と会う約束をしていた。我が家の屋根の軒先の水漏れ問題で、設計士・施工業者と交渉するのだ。しかし、とても2時には終われない。葬儀中にメールし3時からに延ばしてもらった。

葬儀終了後、すぐに職場に戻り、同乗した事務長を降ろして自宅へ向かった。葬儀会場が職場から近くてよかった。

自宅へ着くと、業者の連中が4人、屋根に上がっていた。自分も上がるように促され、着替えて屋根に上がった。申し訳なさそうに説明する設計士と業者。俺は怒っていた。何年も前からこうなっていたのに、見に来るだけ来て放置されていたからだ。軒天からつららが下がるのである。そんな家は見たことがない。しかし説明は、施工に問題はない、環境要因がすべてだと。申し訳なさそうにしているが、責任を認めようとはしない。政治家や官僚、行政の人間と同じ、職人も責任を転嫁する時代になった。自分の建てた家がこんなことになっているのに、心の痛みを感じているのか・・・。俺はそこを怒っている。しかし、俺は素人だ、プロの連中4人を前に彼らを論破することなどできない。ここでも末端の弱者が泣かなければならない・・・2008_0316200803150016

日本という国はすべてがこういう構造になってしまったのか・・・・

しかし、屋根のあの状態をこれ以上放置するわけにはいかない。最善策を、再度業者が検討して後日持ってくることになった。

気分が重い・・・

その後、こどものバドミントンの迎えに行く。岐阜から