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2008年4月

ガソリン値上げ・・・?

4月29日(火)

今日はお休み。昭和の日だとか。まあ休みなら何でもよい。

ところで自民党と公明党。ガソリンの暫定税率復活を明日強行採決するんらしいな!

あんたたちは「民意」ってものをなんと心得とるんじゃ?つい一昨日の選挙の結果をどう考えとるんじゃ?それは無視か?何でも自分たちの都合のいいように解釈して、結局いつものように最後は数の力でごり押しか??

国民の大多数がどう思っているのかまったくわかってない・・・

暫定税率が復活したらリッター160円なんて言われてるけど、ガソリンの原油先物価格が高騰していて、へたすると180円~200円なんてこともありあえるって話もある。政府の人間は先物価格とか市場の動向を把握してるのだろうか・・・?

把握した上で言っているのなら、やっぱ官僚と与党国会議員には、この国民の痛みはわからんのだろうな。こんなに物価が上がっても痛くもかゆくもないんだろう。

だけど、民主党のみなさん、あなたたちももう一つですな・・・何をやってんのよ、他の野党もさ・・・

やっぱ国民が本気で怒らないといけないと思う。とにかく衆院を早く解散して国民の意思を問うてくれ。国民が動かすしかない。

第三極を結集させ、政府打倒のための国民大集会を各地で同時に開催できるようなリーダーが現れてくれないだろうか。

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よし!山口2区補選・・・

4月27日(日)

よし!とりあえず、よしっ!!

山口2区の補選で自民党が負けた!

なにはともあれ、よし!である。

変革のためにまた一歩前進したぞ。

倒閣・政界再編にむけて大きな一歩だ。解散は近い!この流れを止めないようにしないといけない。

いよいよ、日本が動き出す・・・

よしっ!!!

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ホーホケキョ!

4月26日(土)

 今日は土曜出勤。

 土曜だけに電話もほとんど鳴らず、人の出入りもほとんどない。のんきにマイペースで仕事ができた。

 ところでこの季節、私の事務所はちょっと人に自慢できることがある。これは都会では考えられないことだと思う。それは・・・

 なんと、鶯(ウグイス)が事務所近くの林にやってきて、一日中「ホーホケキョ、ケキョケキョ・・」と歌ってくれるのである。2008_0426200804260002  

 この林は、私の事務所の窓から見える風景だが、この林の中のどこかに鶯がいて、きれいな歌声を聞かせてくれるのである。朝出勤して仕事に向かい始める頃から鳴き始める。まるで、私たちを待っててくれたかのように。本当に心が洗われる鳴き声だ。

ここ数年春になると来てくれているが、今年はずいぶん長く歌い続けてくれている。もう鳴き始めて一週間ぐらいになるだろうか。ホントいいウグイスちゃんなわけだ。

 野生の鶯の鳴き声を聞きながら仕事ができる事務所なんて・・・。

 さらに・・・ウチの事務所は、2008_04272008042620002この鶯の鳴く窓の反対側の窓へ行くと、なんと牛や馬が草を啄ばんでいるのを見ることができる。 地元の農林高校の馬舎、牛舎等があり、そのとなりに牧草地がある。そこに牛と馬が放牧されるのである。今日は牛しか出てないが、牛がいる向こう側の土地は馬のための牧草地になっている。その牧草が眩しいくらいの緑になって、見る位置によってはどこかの高原地帯にいるような、そんな長閑な光景なのである。

 片方の窓からは鶯が鳴き、片方の窓からは草原の中で牛や馬が草を啄ばむのが見える。こんな仕事場、いくら田舎の高山とはいえ、そうはないと思う。都会に住む人たちには信じられない光景だろう。

 なんて幸せなことかと思う。毎日ただでこんな平和な環境の中で仕事ができるなんて。2008_04272008042620003

 が、しかし、ここではこれが開園以来当たり前の世界なのだ。ここを利用する人たちも勤める職員も、そして自分もいちいちこの日常に感謝などしていない。

でも、改めてこの幸せな日常に感謝しよう。この当たり前の日常がいつまでも続いてほしいと思う。

世知辛い世の中になってしまったからこそ、このありがたい環境に心から感謝だ。

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チューリップが咲いた・・・

4月25日(金)

 私の妻は花が好きで、私の知らないような花を探してきては畑に植えている。

 妻の植えた花で私にわかるのはチューリップくらいだが、少し前からそのチューリップが大きくなっていて、もうじき咲くかなーと思っていたら、今朝きれいに咲いていた。2008_0425200804230020

 そのチューリップ、本当はもっとたくさん植えていたらしいのだが、なぜか隙間が多い。

母が言うに「もぐらにやられた」と。

なんとモグラが球根を食べてしまったらしいのである。確かに畑にゴルフボールが落ちてきてできたようなへんな穴がいくつもあった。その穴はモグラだったのか!!

 我が家はもともと畑だったところに家を建てた。で、妻と母の希望で畑の部分を少し残してそこが我が家の庭兼畑になっている。もっぱら畑の部分は私の母にまかせている。ジャガイモや大根、葱、白菜、菊菜等々を栽培してくれている。

 花は妻の仕事だ。最近妻も忙しく、心にゆとりがないのだろう、畑で花をかまっている姿をあまり見かけなくなった。申し訳ない思いで一杯だ。

 でも、やっぱり花はいいなあ。 私もちょっとやってみようかな。

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命の重み・・・死刑に正義はあるのか?

4月22日(火)

 今日は、仕事でとても疲れることがあった。愚痴になるから書かないが、気にしまいと思っても疲れてしまう。そのことはまあいいや。

 夜、バンドの練習があって、今日は楽器を一式運んで演った。うん!楽しかった!気分転換になったしいやなことを忘れられた。疲れていたけれどよかった。

 で、今日は自分としては記録しておきたい出来事が広島であった。光市母子殺害事件の判決である。

やはり、と言っていいのか、死刑の判決が出た。

犯行時18歳だったこと、母子を残虐に殺害したこと、被害者の家族の男性が、誰も反論できないほど理路整然としたほぼ完璧な理論で死刑を求めていたこと、差し戻し審が決まってからの弁護団が死刑回避のためになりふり構わぬ弁護に出たこと・・・等々で国民の誰もが記憶に残している事件だと思う。

私が「死刑」について考えるようになったのは、約15年ほど前からだ。そのころに、どこの主催だったか忘れたが中山千夏の講演会が高山であり(会場が高山大谷派別院だったので主催は仏教会だったかもしれない)それをなんとなく聞きに行ったことが「死刑廃止運動」との最初の出会いとなった。

中山千夏がそのとき言っていた事で印象に残っているのが、

「死刑という、法律で人を殺すことを認めている国に、戦争反対を言う資格などない。」

という言葉だった。

戦争も死刑も国家による人殺しである。国家によるあらゆる人殺しを認めないために、まず死刑という合法的な人殺しをできない国にしなければならない。というようなことを言っていた。

中山千夏の話を聞きながら思い出していたことは高校生のころのことである。死刑ということで私が印象に残っていたのは、私が高校生のときに名古屋で起こった「さゆりさん誘拐殺人事件」だった。事件が起こったのが確か高1のときで、死刑判決が出たのが高3のときだったと思う。私は名古屋の大学に進学が決まっていて、自分が行く名古屋でこんな恐ろしい事件が起こったということで強く印象に残っていた。そしてその高校生のときに、恨みとかで一人殺しても死刑にはならないが「誘拐殺人」だと一人殺しただけでも死刑になる。と、なんとなく学習していたことを中山千夏の話を聞きながら思ったことを思い出した。

それまで私は、死刑の「廃止」などということは思ったこともなかった。

が、中山千夏の「人殺しは悪いことである。だから死刑も悪いことである。戦争反対を言うためには死刑反対も言わなければならない。」という理屈がなんとなく腑に落ちて、その後死刑や死刑廃止に関する本を何冊か収集した。

特に、麦の会が編集した「死刑囚からあなたへ・・国には殺されたくない」はけっこう衝撃的だった。死刑囚という存在がすざましい世界であることがわかって衝撃的だった。

「永山則夫」に関する本も読んだ。佐木隆三の「死刑囚 永山則夫」も一気に読んだことを覚えている。獄中でも人間というものはこんなに知的に変わることができるものなのか。自分の弁護士に対し「自分が罪を犯したのは無知と貧困のせいだ。エリートである弁護士は犯罪を生み出す側の存在であることを自覚しろ」と土下座を迫ったという件りには衝撃を受けた。

こうした本を読んで、頭では「死刑は廃しすべき」と理解したものの、心のどこかでは懐疑的なところもあった。それは、もし自分の大切な人間が他人によって殺されたときに、その考え方を貫けるかどうか自信がなかったからである。「さゆりさん誘拐殺人事件」で、判決が出る前にさゆりさんの弟がこんなことを言っていたことを思い出した。「死刑を望む。人の死を望むなんてことはイヤだけれども、じゃあ家族を殺されたこっちの立場はどうなるんだ」と。

そして、今日判決が出た「光市母子殺人事件」の被害者家族の男性も、終始死刑判決を望み、犯人に対する死刑の正当性を論理的に訴えていた。その男性の訴えを論破し納得させることのできる人などいないと思った。だから今日の死刑判決は自分にとっては「やはり」だった。

だけど、自分の中には現在の日本の死刑には納得できないこともある。それは、死刑の執行が法務大臣の意向によって決められるということに対してである。同じ死刑囚でありながら運のいい死刑囚と運の悪い死刑囚が出るなんてことは絶対におかしいと思う。

それに現法相のハトヤマ!あいつが法相になってから何人の死刑執行があったのだろうか。あんなバカな男に命令を出されて執行された死刑囚はかわいそうで仕方がないと思ってしまう。あんなヤツの意思ひとつで生死が決まるなんてあってはならないとも思う。

今の自分の思いは「死刑判決は必要だけれど、死刑執行はしてはならない」でなんとなく納得し落ち着くことができるような気がする。現行法の死刑は維持し、凶悪犯罪に対しては「死刑」の判決は下す。死刑囚はいつ執行されるかわからない状況下に置かれるが、だけれども「執行」はされない。いつ執行されるかわからない状況下でこそ真に反省し「真人間」になれるのではないか。なんてことを思ったりしている。

「終身刑」の是非というのは、今の自分にはよくわからない。

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子ども会 新一年生を迎える会・・・

4月19日(土)

 今日は町内子ども会の今年度最初の行事「新一年生を迎える会」があった。

 朝、8時から役員が集まり会場を準備した。

 以前のブログに書いたが、今年の役員になった子たちはみんないい子で一生懸命にがんばる。2008_0419200804190009 今日も、役員みんなが子どもたちを盛り上げようとがんばった。

 今年の新一年生は10人だ。みんなかわいらしい。新一年生の写真を撮ることを忘れてしまい載せることができないが、なんとも言えずかわいい!うち二人は障害を持つ子だが、2008_0419200804190022しっかり参加してくれた。みな、その子とも仲良くしてくれてとてもうれしかった。

 

 ゲームは中1の男の子二人ががんばって盛り上げてくれた。2008_0419200804190010子どもたちもみんな大喜びで楽しんでくれた。子どもたちの歓声は本当に気持ちが明るくなる。役を受けるということは本当に大変だけれど、子どもたちの笑顔と歓声にやってよかったと心から思える。 2008_0419200804190012

やっぱ子どもは天使だ!子どもが明るくいられる世の中にしないとだめだと心から思った。

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イラク派遣は憲法違反!

4月18日(金)

 今朝の新聞一面トップを見て驚いた。

「空自イラク派遣は違憲 名古屋高裁判決」

初めはちょっと目を疑った。合憲の間違いではないかと思った。だって、最近の高裁や最高裁判決は国や権力の側に偏ったものばかりの印象だったから。三権分立なんて遠い昔の夢だと思っていたから。

 だけど、ついに政府の暴走に「憲法違反」の判断が下った!イラクへの派遣は戦争への参加だったとやっと認められた。

憲法9条が光り輝いている!!

もう政府は嘘ばかりつかないで、これまでの非を認めてほしい。誰が見たってサマワもバグダットも戦地だ。

政府は潔く、イラクから自衛隊を撤収しろ!

イラクにいる自衛隊のみなさん!憲法9条を盾に堂々と帰ってきてください!

日本国民のみなさん、おめでとう!まだこの日本に正義は残されていました。

原告団のみなさんも本当におめでとう!そしてお疲れ様でした。

でも、まだ終わりじゃありません。イラクから自衛隊が撤収されるまで、この日本から米軍がいなくなるまで、この国の政治が変わるまで、がんばっていきましょう!

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久しぶり!

4月17日(木)

 今日、久しぶりにFさんと会った。4月に入り転勤されてから会うのは今日が初めてだ。

 なかなか仕事でこちらに来ることはないので、わざとお願いごとをこちらで作って来てもらった。みんなその後体調はどうなのか心配していた。だから来てもらってよかった。

 転勤してまだ半月だから、疲れてるんじゃないかと思ったが、けっこう元気そうで安心した。

 だけど、Fさんが行ったところは、いろんな意味でたいへんなところで、これまでも苦労の絶えない職場だ。さっそく、Fさんがアドバイスしないといけないような事態になりつつある。なんともならないと悟った職員はきっとFさんに解決を頼っていくだろう。だけど、どうかFさんにはアドバイスするだけに留めてほしい。Fさんには自分の体だけを大切にしてほしいと思う。

トップの人間にきっちり仕事をしてほしいし、その結果については責任を取るべき人にきっちり責任をとってほしいと思う。さらに大きな問題となっていく前に。

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体調が・・・

4月16日(水)

 4月に入ってもう半月が過ぎた。

 新年度に入りいろんなことの環境が少しづつ変わった。だいぶ慣れてきたころではあるけれど、今週に入ってからちょっと体調がへんというか今ひとつというか・・・

仕事中になんとも言えない体のだるさというかなんか変な感じを感じる。その上、午後から猛烈な眠気に襲われるのである。夜の睡眠は十分に取っているのに。これまでは前日ちょっと寝不足だったりするとその翌日すごく眠いということはよくあったが、こんなことは今までに経験のないことだ。薬はここ一年毎朝飲み続けている血圧の薬だけで、その薬で眠くなるなんてことはない。

 やはり、環境の変化による疲れが知らず知らず蓄積していたのだろうか。さらに年とともに一晩眠れば取れた疲れが取れなくなってきているのだろうか?

それとも、何かイヤな病気・・・

我ながらちょっと心配になってきた。

 でも、よくよく考えれば、この春はいろいろあったもんなあ。このブログ読んだだけで、けっこういろんなことやってるじゃん。だからやっぱ単純に疲れたんだって。

 心配するな、俺!

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祭り気分・・・

4月15日(火)

 昨日、今日と春の高山祭りだった。

 この春はまったく祭りに出かけなかった。昨日仕事で外へ出た際に、上川原町というところで屋台を動かしているところを偶然見かけたが、それ以外は祭らしいことにまったく触れずに終ってしまった。

 これまでは子どもにせがまれて夜祭に出かけることが多かったが、末っ子も中学生になると友達同士で出かけてしまい、親はお呼びでない。私の住む地域の祭りは9月だし、結局子どもがいなければ私にとっては何の関係もない高山祭りなわけである。

 しかも、日曜には友人宅が火事になり、なんかこうお祭り気分になれなかったことも確かだ。

 10年位前までは、祭りの呼び引きと言って、祭りの家におよばれに行った。何件も呼ばれてはしごしたものだが、最近はまったくお呼びがない。自分が呼ばれなくなってしまったのかと思いきや、ほとんどの家が祭りの呼び引きなどしなくなったという。やはり我々の年代は疲れていて、祭りに行くのも呼ぶのも億劫になってしまっているのだ。私も10年くらい前から祭りに人を呼ぶなんてことしなくなった。だから呼ばれても行けなくなった。

所謂、祭り気分なんてものにはなれなかった、春祭りであった。

 仕事が終わって、子どものバド練習の迎えに行った。もう間もなく小学生も中学生も試合が始まるため、気合いが入っている感じがした。今日は午後6時から8時の練習だ。子どもたちも腹が減っただろう。

 私も空腹を覚えていたが、そこへ、携帯に電話。元バンド仲間のKさん。がーん!そうだった、Kさんにバンドを頼まれていて、今夜がその練習日だった・・・!早々に子どもを自宅に降ろしてその足で練習場へ向かった。腹も減ってたがしかたがない。

練習場はnobutaという人里離れたキャンプ場のようなところ。久しぶりに元バンドのメンバーと再会。ピアノのSさんとは本当に久しぶりの再会だ。友人であるギターのMは参加せず、その教え子である若い人がギターとのことで初対面。今日は見学とのこと。

以前からのレパートリーである‘松岡直也’の曲を数曲。久々だからもちろんバチッと決まるようなことはなく、ほとんど素人の演奏。しかし、曲も思い出し徐々に感覚を取り戻す。私以外は基本のできた人たちだからさすがである。見ていたギターの若い人は顔が引きつっていた。大丈夫だろうか・・・

本番の予定が来月末、がーん!仕事じゃん。しかも休むことはできない大切なしごとだ。土日だから休みだと安易に受けてしまっていた・・・

どうしよう・・・ま、なんとかなるわ。(えー、ならんぞ!)

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火事・・・

4月13日(日)

今日は、たいへんなことがあった。

午前、高山で火事があった。観光名所に程近い上一之町というところで、TVのニュースでも流れたらしい。

その火事が、なんと高山ジュニアバドミントンクラブのメンバーで私の同級生Kの家だったのである。隣家から出火し、彼の会社兼自宅がほぼ全焼してしまった。

朝8:30頃の出火らしいが、私は昼頃に他のメンバーから連絡をもらうまで知らずにいて、知らせを聞いて慌てて現地へ駆けつけた。2008_0413200804130018

火はもちろん鎮火していたが、まだ周辺は騒然としていて、あの火事独特の焦げ臭いにおいがあたり一面に漂っていた。一本西側の路地へ行けば観光客で溢れている。そうだ、明日から春の高山祭りなのだった。

 その焼けた会社兼自宅の向かいが会社の事務所になっており、そこでKと奥さんと会うことができた。彼の会社は味噌醤油の醸造会社で高山の老舗の一つであり、見舞いの訪問者が後を断たない。彼と奥さんは、住居と家財のほとんどが焼失してしまったが、家族全員怪我もなく避難はできたことと、焼けた住居の奥にある醸造工場は類焼を免れたことが幸いであったと、気丈に話してくれた。また、向かいの事務所ビル3階に案内してくれて、火災現場を上から見ることができた。2008_0413200804130020

正面から見ると建物は残っているように見えるが、上から見ると屋根まで焼けてしまって、建物の中は全焼していることがよくわかる。3時間ほど燃え続けていたらしいので、見た目以上に大きな火事だったのだ・・・。我が家が焼けていくのを見ているしかなかったその3時間は本当につらかっただろう。

「まだ、何から手を着けたらいいのかわからない状態や」と笑って気丈に話してくれるが、こちらは励ます以外に言葉がない。

 高山ジュニアとして何かできることはないか、コーチや保護者代表と連絡をとった。

 Kから、とりあえず寝るところはあるが、衣類が1~2日分しかないので子どもの衣類だけでも助けてもらえないかと依頼を受けたので、さっそくジュニア保護者に一斉メールをして、子供用の衣類とタオルを協力してほしいとお願いした。ちょうど練習日だったので、そのときに持ってきてもらうようにしたところ、多くの協力が集まった。迅速な対応をしてくれて本当にありがたい。保護者代表にさっそく運んでもらった。こんな災難にあったときこそ助け合える、そんな仲間がいることに感謝である。

これからK家族は本当に大変だと思うが、体に気をつけてがんばってほしい。明日から工場は動かすとのことだったのでKは本当に大変だと思うが、経営者としてここは踏ん張りどころ、なんとかがんばってほしいと思う。

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鯵の刺身・・・

4月12日(土)

 子どものバドミントン関係の仲間であるOさんから電話があった。

 「昨日、鯵(アジ)を釣ってきたので刺身にした。食べにこんか?」とお誘いを受けた。

 ラッキー!

 ウチの夫婦ともう一人お誘いをいただき、3人でお邪魔した。

 Oさんの本職は大工さんである。ウチの屋根の件でもいろいろアドバイスをいただいた、腕のいい職人だ。

 そして趣味が「海釣り」である。話を聞くと本職が釣り人なのではないかと思うくらいだ。携帯の写真も見せてもらったが、80センチはある鯛や1メートル近くある鱈を釣り上げている。すごいのである。

 昨日は金沢。高山の釣り仲間3人で船を出してもらい、40分ほど沖へ出て釣ったそうだ。それを自分で捌いて刺身にしてくれたのがこれだ。2008_0413200804130005

包丁もすごいのをもっているらしい。

 Oさんの話によると、海の魚、特に光物は、釣ってすぐにシメて血を抜かないと生臭くなるらしく、Oさんは揺れる船上で釣り上げた鯵をしっかりシメる作業までしてくれたらしい。そして、刺身は活造りよりも、釣ってすぐにシメたものを三枚下ろしにして一晩寝かせたものが断然うまいらしい。

今夜はその最もうまい状態のものを出してくれたというわけだ。たたきにもしてある。

さっそくいただいた。うん、うまい!確かにまったく生臭くないし身が締まって歯ごたえがある。こんな鯵の刺身は初めて食べた。

 Oさん曰く、スーパーなどに出ているものは、シメるという作業をしていない(できない)ため、べちゃっとした感じになって生臭く、生姜のおろしがないと食えない。生姜は生臭さを消すためのもので、しっかりシメて血抜きをしてあれば生姜などなくても食える。とのこと。

 なるほど、こうした薀蓄を聞きながら、食べるのは本当にうまい。

 そしてOさんは焼酎にも造詣が深い。今日は金色した焼酎(酔って銘柄を忘れてしまった)を湯割にして出してくれた。一升瓶が金色になっているのかと思ったら、なんと焼酎そのものが金色なのである。初めて見る銘柄だった。

うまい酒にうまい刺身、楽しい語り・・・遅くまで呑んでけっこう酔っ払った。楽しいひと時だった。

Oさんご家族、本当にありがとうございました。

そして、我が家も子どもたちだけで留守番をしてくれるようになり、夫婦で夜出かけることもできるようになった。子どもたちにも感謝である。

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町内子ども会・・・

4月11日(金)

 今夜は、町内子ども会の今年度初めての役員会があった。

 私は今年も町内子ども会育成委員である。二年任期で昨年からの引き続き。今年は副から正の委員となり責任が重くなった。

 今夜は来週予定している「新一年生を迎える会」の準備・打ち合わせで、新年度の大人と子どもの役員が集まった。ウチのkanaも今年子ども会の書記になったため、近所の同級生の子と一緒に町内の公民館へ行った。

 慣例で中学2年生が子ども会の役員となるが、今年は中2が二人しかおらず、中1からも役員を出すことになり、kanaは一年早く子ども会の役員となったわけだ。「来年楽だからいいよ」とkanaをはじめ4人の中1生が快く役を引き受けてくれた。2008_041120080410021 今年の6人の子ども役員はなかなかいい。素直だし返事もよく、今日の打ち合わせもけっこう男女が和気藹々と楽しくやっていた。

 役を受けると、大人も子どももたいへんだが、今年一年みんなで力を合わせて楽しい子ども会にしていこう!私も子どもの笑顔が何より好きだから、がんばっていきたいと思う。

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春の雨・・・

4月10日(木)

 今朝気付いたが、隣の家の庭の梅の花が少し開き始めた。

今朝起きて、雨か・・・と思って窓から外を眺めて気付いた。大きな梅の木で、白い花がきれいに咲く。

 我が家にも、なんとか桜という木を植えている。建てた年に、もらった苗木を2本植えたが、その内一本が生え付き、けっこうな高さまで伸びた。しかしまだ花を咲かせることがない。

今年は咲くのだろうか・・・

朝、リビングの窓から外を見ながら思った。雨は強くなっていた。

 今日も午後から会議。今日の会議は気の合う人たちとの会議で、あっというまに時間が過ぎた。やっぱり、こういう気の合う人たちといる時間はたとえ会議であっても早い。

自分は、人から嫌われるのを恐れるあまり自分を嫌っていると思う人間に必要以上に気を使って疲れているように思う。イヤなヤツなら嫌われたっていいじゃないか。へつらう必要などない。そう、誰からも好かれようなんて思うことが間違いだ。

どんな人に対しても、普段の普通の自分で接しよう。好き嫌いがあって当然だ。嫌いな人に対してこそ普通の自分で接しないとだめだと思った。何も悪いことはしていないのだから、自分に自信を持とう。

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好き嫌い、合う合わない・・・

4月9日(水)

 どうして人間って者は、好き嫌い、合う合わないがあるんだろうか・・・

 どこへ行っても、人の悪口や愚痴を聞く・・・家族、親の会、ご近所などなど、最近人と話すと必ずと言っていいほど、誰かの悪口か愚痴話になっている。

 自分ももちろんそうだ。やっぱり合う合わない好き嫌いが様々な人間関係に出ている。私が合わないと思う人間はやっぱり向こうも私のことが嫌いだとよくわかる。

 それに最近特に愚痴っぽくなっていると自覚している。

 これではだめだ・・・

 特に、私は家族に対してすぐ態度に出してついつい愚痴っぽくなる。自分のストレスを家族にぶつけている。私にとって大切な家族なのに。私を癒してくれるのは妻と3人のこどもだけなのに・・・

 嫌いなヤツにいいかっこして家族や大切な人に八つ当たりしたり愚痴るなんて、それこそ愚の骨頂だ。ストレスを家族や大切な人にぶつけるのはやめようと思う。

 そして、イヤなことがあっても、人には顔や態度に出さず、常に明るくいられる人になりたい。

 では、どうしたらそれができるか、それを今から考えよう。

 答えは出るだろうか・・・

今日、父が退院した。とりあえずよかった。

母も昨夜無事東京から帰ってきた。

父母も早くいつもの日常に戻ってほしい。

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心の動き・・・

4月8日(火)

 今日は午前に会議があった。月に一度の定例会議なのだが、自分にはつらい時間だ。

 しかし、今日は報告、連絡だけで話し合うことはほとんどなく、1時間半ほどで終ってしまった。そうなるとまた拍子抜けって感じで物足りない。いつもながら自分の勝手さには我ながら呆れる。

 会議も早く終り、今日も昼休みに父を見舞うことができた。今日で手術をしてちょうど一週間、あの病室にも馴染んでいる。目のほうも順調に推移しているように感じる。

見舞った後、特にナースステーションにも寄らずに仕事に帰ったが、事務所に戻ってしばらくしたら病院から携帯に電話が入った。またも一瞬ドキッとしたが、用件は、明日の検診結果しだいで退院できると思うが明日の退院は可能か?という内容だったので一安心、母も今夜帰ってくるし、大丈夫ですと伝えた。

よかった。

このまま入院が長引くと、環境の変化による認知症の進行がないとも言えず、退院後の自宅での生活がまた心配だからだ。やはり、認知というか物忘れがひどく、いつ入院していつ手術したかというようなことが、ぱっとわからず、悩んでしまうのである。母はいつ来るのかとか、今日が何日かということも何度も聞く。しかし、メモ帳に日記的なことを書いているので、それを見ながら思い出していた。

 明日はおそらく退院できる。しかし、まだ自宅でしっかり養生してしてほしい。母は東京から戻ったばかりで疲れているだろうが、なんとかたのむ。

帰宅後、M中バドクラブに子どもを迎えがてら練習を見てきた。kanaが中学生になっての練習初日だ。今日はTコーチも仕事帰りに指導に来てくれていた。終了後kanaたち新入生3人が、コーチに「これからもよろしくお願いします」と改めてあいさつしていた。やはり子どもたちが元気に練習する姿は、いまの私の一番のエネルギー源だと改めて思った。

今日は、自分の心の状態が上がったり下がったりした日だったが、最後はしっかり気分良く夜を迎えることができてよかった。

あしたもがんばろうか!

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kana 中学校入学式

4月7日(月)

 今日は、中学校入学式だった。

kanaもM中学校に入学した。入学式は午後からだったので妻にまかせた。私が出勤するときにはまだkanaは眠っており、言葉をかけることはできなかったが、昨夜の様子では不安が大きいようだ。

昨夜制服を着て見せに来たが、当然のことながらしっくりこない。kanaはスカートが嫌いな子で、スカート姿など幼稚園の制服くらいしか記憶がない。だからよけいにしっくりこないのだ。兄のryoにも冷やかされてぐずっていた。

制服もイヤらしいが、一番不安なのはやはり「勉強」のようだ。kanaは勉強がきらいだと自覚している。ほんとうに自分は頭が悪いと思っているようなので、私はそんなことはないと言うが、勉強が厳しくなるということが相当いやなようだ。

親としては複雑だ。勉強なんかしなくていいとはやはり言えない。

「バドミントンはがんばる!部じゃないけど一生懸命やる!」と言い切っている。バドミントンは部活動として認められておらず同好会扱いなので、いろいろとハンディがある。だからそれはそれでがんばらないといけない。兄のryoも同じ境遇でがんばっている。

だから当面は勉強より、得意のバドミントンと走ることで存在感を示してほしい。中学には学校対抗の駅伝大会等があるらしいので、その選手に選ばれるくらいになればいいなと思う。

M中学校は私の母校でもある。感慨深いものがある。

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川ざらえ

4月6日(日)

 今日は午前に町内の「川ざらえ」があった。去年の案内には「川ざらい」と書いてあった。

‘ざらえ’でも‘ざらい’でも別にどっちでもいいのだが、要するに溝掃除である。

年に一度、新年度のこの時期に町内総出で行なう、行事的な取り組みだ。

 この町内は農業地区なので春になると田んぼに水を入れるため側溝に多くの水を流す。その前に、一年間で溜まった泥や砂、ごみ等を掃除するのである。

毎年のことであるが、側溝には泥や砂が堆積している。さらに上流で、数年前の台風で河川の護岸がくずれた箇所の工事が続いており、その工事で発生する土や砂が流れてきてこの町内の側溝で堆積している。

それをシャベルでかき出すわけであるが、これがまた非常に重いわけである。けっこうな重労働なわけだ。私は、側溝からかき出されて道路に山になった泥や砂をダンプに上げる役割だった。これもけっこうえらいんですよ。1tトラックに何杯積んだだろうか、2時間でみんなけっこうバテていた。

前にもこのブログに書いたが、この町内は農園地区と新興地区の二つに分かれている。今日の川ざらえはほとんど農園地区の側溝の作業だ。我々農園地区の人間は一軒に一人は必ず出る。出ないと、それはそれはやばいわけである。何も言われないが目で言われるのである。だから新入りの私など出ないわけにはいかない。

しかし例によって、またも新興地区の人たちはほとんど出てこない。わずかに出てくるのは班長とかの役の人か、まじめな人だ。この作業に出てくる新興地区のまじめな人にはホント敬意を表したい。ほんの2~3時間の作業だけれどホント大変ななんだから・・・それに直接自分たちの住むところとは関係ないところの作業だからほとんどボランティアだ。立派である。

毎度この作業の後は、神社の広場で酒盛りである。出るのは日本酒だけである。そう、お茶も出ないのである。おそらく酒はたらふく飲めるはずだ。しかし、缶のお茶くらい出してくれてもよかろうに・・・私はけっこう汗もかいてのども渇いていたから、お茶がいつ出てくるかと待っていたら、出てくるのはやかんでわかした酒だけ・・・おいおい、俺はこのあと病院へ行かなくてはならないから酒なんか飲んでらんねーんだよ。

ここで気付いた。この作業に出てくる人たちはこの酒盛りが楽しみで来るのだ。湯飲みにやかんで沸かした酒をついで呑む。これが好きなのだ。

私は、こっそりその場を後にした。この汗かいて疲れた真昼間から日本酒なんか飲んだもんなら、もはやその日は終わりである。

お茶クレー!

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弟の転勤・・・

4月5日(土)

 私には弟がいる。年で4つ、学年で5つ下の弟だ。私が小6のとき弟は小1。そんな年の差だ。韓国のヨン様に似ていると言う人がいた。うん、見方によっては確かにヨン様のように見えるときがある。しかしいまだに独身、彼女がいるという気配すらない。そんな弟である。

 弟は名古屋に本社かあるM電工というアンテナ・通信機器製造メーカーに勤務している。

一昨年の夏に名古屋から東京は葛飾に転勤となった。

弟曰く、「これは左遷だ」。名古屋本社の会社で、東京行きはいわゆる「飛ばされる」人事だと言うのだが、そのときの弟は実にうれしそうだった。高校卒業以来、ずっと名古屋に住んできたが、やはり東京というところに一度は住みたかった。その願いが叶った!と実は大喜びだったのだ。

 私も実はうれしかった。東京にただで泊まれる場所ができる!これはまったくうれしいことである。東京に行きやすくなったことは確かだ。この間2回ほどたずねた。

 その弟から3月中旬に電話があった。「また飛ばされることになった」

 名古屋に戻れってか? 「ちがう、今度は千葉市やって・・・」

 あらま、こりゃまた意外なところへ。今住んでるところは葛飾の京成立石。そこから通おうと思えば通える。でも電車で一時間はかかるらしい。

ものぐさな弟は、その通勤がうざいとのことで、千葉市への引越しを選んだようだ。今のアパートに移ってまだ1年半、私はすごく残念な思いになった。寅さんの故郷の葛飾を十分に歩いていない。亀田兄弟のジムも葛飾らしいが・・

 それで、引越しの手伝いに母が行くことになっていた。6日から2泊してくる予定で。しかし、父が急遽入院することになり、母は「行けんな」と言っていた。

でも、逆に入院中なら心配ないから行ってこいよ、と私は母に言った。母はいつも安い新宿行きのバスを使って行くのだが、そのチケットも取っていたし、ちょっと気分転換にもなるだろうし。本当は俺や妻も行ってやれればよいのだがそうもいかない。

病院へは俺が通うから大丈夫、と言うと、「そうか、それなら・・・」と予定通り行くことになった。弟も「助かる」と母が来ることを喜んだ。

で、明日朝6:30発の新宿直行バスで母は東京へ行く。バスの旅なんて疲れるだろうに、JRで行けばといったが、貧乏性の母はバスの倍以上かかるJRでなんか行けない、とこれまでずっとバスを利用している。立派な人である。

昭和9年生まれの母である。

気をつけて、無事に帰ってきてほしい。

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子どもを殺すな・・・「おかあさん」

4月4日(金)

 実家が毎日新聞を購読していて、母が毎日、その毎日新聞を父の病室に届けている。

 父の見舞いに行った際にその毎日新聞を何気なく読んでいた。

 八戸で母親による子殺しがあった。その記事の中でその子の書いた詩「おかあさん」が掲載されていた。血の気が引いた。胸が苦しくなり、涙が溢れてしまった。

どうしてこんなにも子どもが犠牲になるなる事件が続くのか・・・。

なんで子どもが死ななければならないのか・・・

こんなにお母さんを思っている子どもがそのお母さんに殺められるなんて・・・

こんなことになるまで誰もなにもできなかったのか・・・

病室ベッドで眠っている親父を前に涙がこぼれてしかたがなかった。本当になんでこんなことに・・・

 私は、この子を殺したのはこの国だと思う。手を下したのは母親だけれど、そうさせたのはこの国だ。弱いものなど必要ない国にしてしまった。弱いものが死ぬしかない国になってしまった。やっぱりこの国はおかしい。戦争やテロで人が死ぬこととこれは同じではないか!?

 だけど、だけど、子どもだけは殺さないで・・・子どもの命だけは奪わないでくれ!子どもを殺したくなったら俺のところに連れて来てくれ。俺がなんとかする!

だから、殺さないで・・・自分も人も殺さないで・・・

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がんばれ、親父・・・

4月3日(木)

 ここ一週間ほど寒い日が続いている。今日も雪こそ降らないが、雨も冷たく気温は一日上がらなかった。

 今日も昼休みに病院へ行かせてもらった。

 昨日までは2~3日は個室でと言われていたのに、もう今日大部屋へ移ってほしいと言われたそうだ。昨日までいた4人部屋でなく、今度は別の6人部屋。昨日までいた部屋は脳外科の部屋で、今日移る部屋は眼科と整形の部屋だそうだ。階も違う。

引っ越しをしないといけないが、やはり母は昨夜眠れなかったようだ。母は大丈夫だと言うが、引っ越しは俺がやるから少しでも家に帰って寝てきたらと勧めた。母に倒れられたらそれこそ困ってしまう。母はそれなら頼むと言って父の荷物だけまとめてくれて一旦帰った。

 看護婦に案内されて、父と引っ越しに入った。2階から4階へ移る。父は車いす移動だ。促されて入ったその部屋は前の部屋の雰囲気と全然違う。父は入るなり顔を顰めた。ほとんど認知症の人ばかりのような、療養病床を思わせる重たい空気だったからだ。新入りが入ってきても誰も関心を示そうとせず、テレビの音だけが鳴っている・・・廊下へ出れば便臭がただよっている・・・

つい父も、「えらい部屋をあてがってくれたな・・・」なんて、看護師の前で言ってしまった。

しかし、ここはいやだと私も思う。退院までこの部屋で過ごすのか・・・父の認知も進みそうで心配になる。環境の変化は一番認知症にはよくないらしいから・・・

しかし、これが現実だ。父には早く退院できるよう、言われたことをしっかり守って治療に専念してほしい。

がんばれ、親父・・・

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父の再手術・・・

4月2日(水)

 今日午前、父の入院する病院から電話があった。

・・・何かあったか!一瞬緊張が走った。

電話の看護師の話では緑内障の状態が非常に悪く、一刻も早く手術なりの処置をしないとまずい状態になっているとのことで、すぐに病院に来てくれないかとのことだった。今日は主治医の手術日で、昼に時間が取れるとのことだったので、こちらも昼休みを利用して病院に行くことにした。

少しほっとした・・・脳梗塞の方じゃなかったからだ。 

昼休みとなり病院に行った。少し遅れて母も来た。午前の手術が遅れており、しばらく待ってほしいとのことで、病室で待った。2時近くになるがまだオペは終らないようだ。母が人と会う約束があるらしく、気にしていたのでそっちへ行ってもらった。病室でウトウトしていたら、ようやく看護師が迎えに来た。眼科の外来へ父と向かった。眼科の主治医には初めて会うが、たいへん簡潔にわかりやすく状態を説明してくれた。

現在の父の目の状態は、2月の手術の効果があまり出ておらず、眼圧が非常に高い状態で推移している。緑内障の手術は数種類あるが、これまで行ってきた手術は、多少目にさわっても大丈夫なもので、アレルギーで目のかゆい父には非常に条件のいいものだった。しかし、それで良くならないので、次は最後の手段となる手術しかない。しかし、その手術はかゆみ等で目をこすったりするとばい菌が入りやすくなるため、そうなると目には非常によくない状態になるらしい。へたすると失明である。しかし、今のまま放置しても10日ほどでほとんど見えない状態となるらしい。

要するにどっちにしてもリスクの大きい選択となると主治医は言う。普通なら当然手術を勧めるが、今は脳梗塞のこともあり、認知が進んで、目をかまってしまうことも十分に考えられるので、その場合の責任までは負えない。しかし、手術をしなければそのまま10日ほどで見えなくなる。するならば今日のオペに入れる。と言われた。

父は「どうしたらいいか、判断できん」と言う。手術後に目をかまわない自信がないのかもしれない。しかし、そばにいた看護師が、しばらく家族が病院に付き添って、目をかまわないように注意すればなんとかなるのではないか、と言ってくれ、私もなにもしないで見えなくなってしまうよりは、手を尽くしたほうがいいのではと言うと手術することに納得し、同意した。母にはしばらく病院に詰めてもらうことになるが、それは同意してくれるだろう。

そのままオペの準備に入った。今日最後のオペに入れてくれるらしい。白内障などで大変な順番待ち状態、主治医の厚意で緊急にムリに入れてくれたのだ。感謝である。

今日は朝からずっとオペらしい。父のオペは予定では5:30pmからなので、5時には病院に来ていてほしいと看護師に言われ、仕事を4時過ぎであがらせてもらって病院に向かった。いつも駐車場が一杯で奥のほうしか空いていないのだが、今日は2回とも入り口すぐのいい場所が空いていてラッキーだった。

病室へ行くと、父はベッドで横になっていた。5時近くになったら、看護師が来てオペの衣類に着替えるよう言われ着替えたが、青い手術着のようなもの1枚だけだったので、父は「寒い寒い」の繰り返しだった。最近、自律神経が働かないのか、すぐ寒がったり暑がったりする。今日も寒い日だったので、手術着を着て布団の中で丸くなっていた。

どうも前のオペが遅れているようだ。6:30pmになっても迎えが来ない。看護師が、まだかかりそうだから何か準備する物があれば取りに行ってもいいとのことで、 母の付添い用の布団を取りにいっしょに自宅へ行った。

戻ってくるとちょうどオペに出るところだった。間に合ってよかった。で、そのまま同行して手術室の待合かなんかで待つのかと思ったら、エレベーターの入り口で「じゃあここで(お別れです)・・・手術室近くに待合室はありませんから・・・」って??? 病棟エレベーターの入口で見送りさせるために俺たちを待たせてたのか??? 家族もいっしょに待っててくださいの意味が未だにわからない。

結局オペに向ったのは7:15pmだった。2時間以上も待たされたが、主治医も朝からずーと何人分ものオペを一生懸命やっているんだ、文句など言えようはずはない。

 1時間ほどでオペは終わるとのことで、その間に母と食事をしに行くことにした。簡単に食べられる回転すしに行った。食事後8時頃には病院に戻ったが、父はまだオペから戻ってはいない。ディールームで中日VS巨人を見ながら待っていた。8回表2-0で中日が勝っている。今日勝てば中日は開幕4連勝、巨人は球団史上初の開幕5連敗!中日がんばれ!私と母しかいないディールームでベンチにごろ寝しながら見た。

いよいよ最終回2アウトというところで、父が戻ってきた。ほとんど9時近い。

 私は中日が勝つのを見届けてから病室へ向かった。これで今年の巨人の優勝はほぼなくなったな。巨人にだけは優勝させたくない。

 病室へ行くと、父はおとなしくベッドにいた2008_0402200804010190。痛みも何もなく、別に何ともないと言う。まあ麻酔が効いている間だけだろうが。父も食事前だったので、腹が減ったようだ。目だから飲んだり食ったりに制限がないからよかった。

今夜は母が付き添ってくれる。2~3日は個室で付き添ってほしいとのことだから、眠れるといいが・・・。

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園長の送別会・・・

4月1日(火)

 今朝も雪だった。今朝の雪はちょっと多めで屋根の上などはけっこうな積雪となっていた。4月に入ってからこんなに降るのはめずらしいと思う。

 仕事のほう、今日からFさんは来なくなったが、代わりにYさんという若い(といっても既婚、2児の母)女性の事務員が来る事になった。まじめで、ウチの女性事務員のなかではめずらしく‘癒し系’の人柄だ。事務所の雰囲気はやはり変わる。

 12年前、私がここの事務員になったとき一緒に事務員になった女性がいたのだが、彼女のことを思い出した。すでに退職してずいぶん経つが、その彼女も癒し系の子で、今思えば仕事の上では精神的にずいぶん助けられていた。未熟だった私はそのことに気付かず甘えてしまって、彼女につらい思いをさせていたと思う。そういう人のありがたみはいなくなってよくわかる。

そして今夜はT園長の定年退職に伴う送別会があった。

ベテラン職員を中心に80人あまりの出席者があり、それはそれは盛大に行われた。T園長はYゆり学園の創設時からの職員である。開園の歴史を知る唯一の職員であり、また第一号の女性施設長であった。そのT園長が退職され、学園の歴史の生き字引がいなくなることになった。ウチの法人は女性の管理職が半分以上を占める、まあ全体的に女性上位の職場であると思うが、その基礎を作り上げたのがこの人だと私は思っている。妊娠休暇制度等ウチの法人には女性にやさしい就業規則があるが、それもこの人の力によるところが大きい。

今夜の送別会は、Yゆり学園の職員が準備した。2008_0402200804010156 開園当時の古い映画の上映や、各施設の園児たちのビデオ上映など、なかなか泣かせる演出だった。お笑い余興もハワイアンフラダンスを仮装で踊って大好評だった。最後は、みなでYゆり学園の歌を歌って、2008_0402200804010164退場は大きな御輿に乗っての花道となった。 やはり、みんなが心をこめて送別しようという意気込みで準備したことがよくわかった。

T園長も大満足だっただろう。最後のT園長の話も感動するものだった。

ひとつの歴史がここに終ったが、きっちり定年で退職という潔い引き際だったと思う。

2008_0402200804010178おつかれさまでした・・・心から労いたい。

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