4月22日(火)
今日は、仕事でとても疲れることがあった。愚痴になるから書かないが、気にしまいと思っても疲れてしまう。そのことはまあいいや。
夜、バンドの練習があって、今日は楽器を一式運んで演った。うん!楽しかった!気分転換になったしいやなことを忘れられた。疲れていたけれどよかった。
で、今日は自分としては記録しておきたい出来事が広島であった。光市母子殺害事件の判決である。
やはり、と言っていいのか、死刑の判決が出た。
犯行時18歳だったこと、母子を残虐に殺害したこと、被害者の家族の男性が、誰も反論できないほど理路整然としたほぼ完璧な理論で死刑を求めていたこと、差し戻し審が決まってからの弁護団が死刑回避のためになりふり構わぬ弁護に出たこと・・・等々で国民の誰もが記憶に残している事件だと思う。
私が「死刑」について考えるようになったのは、約15年ほど前からだ。そのころに、どこの主催だったか忘れたが中山千夏の講演会が高山であり(会場が高山大谷派別院だったので主催は仏教会だったかもしれない)それをなんとなく聞きに行ったことが「死刑廃止運動」との最初の出会いとなった。
中山千夏がそのとき言っていた事で印象に残っているのが、
「死刑という、法律で人を殺すことを認めている国に、戦争反対を言う資格などない。」
という言葉だった。
戦争も死刑も国家による人殺しである。国家によるあらゆる人殺しを認めないために、まず死刑という合法的な人殺しをできない国にしなければならない。というようなことを言っていた。
中山千夏の話を聞きながら思い出していたことは高校生のころのことである。死刑ということで私が印象に残っていたのは、私が高校生のときに名古屋で起こった「さゆりさん誘拐殺人事件」だった。事件が起こったのが確か高1のときで、死刑判決が出たのが高3のときだったと思う。私は名古屋の大学に進学が決まっていて、自分が行く名古屋でこんな恐ろしい事件が起こったということで強く印象に残っていた。そしてその高校生のときに、恨みとかで一人殺しても死刑にはならないが「誘拐殺人」だと一人殺しただけでも死刑になる。と、なんとなく学習していたことを中山千夏の話を聞きながら思ったことを思い出した。
それまで私は、死刑の「廃止」などということは思ったこともなかった。
が、中山千夏の「人殺しは悪いことである。だから死刑も悪いことである。戦争反対を言うためには死刑反対も言わなければならない。」という理屈がなんとなく腑に落ちて、その後死刑や死刑廃止に関する本を何冊か収集した。
特に、麦の会が編集した「死刑囚からあなたへ・・国には殺されたくない」はけっこう衝撃的だった。死刑囚という存在がすざましい世界であることがわかって衝撃的だった。
「永山則夫」に関する本も読んだ。佐木隆三の「死刑囚 永山則夫」も一気に読んだことを覚えている。獄中でも人間というものはこんなに知的に変わることができるものなのか。自分の弁護士に対し「自分が罪を犯したのは無知と貧困のせいだ。エリートである弁護士は犯罪を生み出す側の存在であることを自覚しろ」と土下座を迫ったという件りには衝撃を受けた。
こうした本を読んで、頭では「死刑は廃しすべき」と理解したものの、心のどこかでは懐疑的なところもあった。それは、もし自分の大切な人間が他人によって殺されたときに、その考え方を貫けるかどうか自信がなかったからである。「さゆりさん誘拐殺人事件」で、判決が出る前にさゆりさんの弟がこんなことを言っていたことを思い出した。「死刑を望む。人の死を望むなんてことはイヤだけれども、じゃあ家族を殺されたこっちの立場はどうなるんだ」と。
そして、今日判決が出た「光市母子殺人事件」の被害者家族の男性も、終始死刑判決を望み、犯人に対する死刑の正当性を論理的に訴えていた。その男性の訴えを論破し納得させることのできる人などいないと思った。だから今日の死刑判決は自分にとっては「やはり」だった。
だけど、自分の中には現在の日本の死刑には納得できないこともある。それは、死刑の執行が法務大臣の意向によって決められるということに対してである。同じ死刑囚でありながら運のいい死刑囚と運の悪い死刑囚が出るなんてことは絶対におかしいと思う。
それに現法相のハトヤマ!あいつが法相になってから何人の死刑執行があったのだろうか。あんなバカな男に命令を出されて執行された死刑囚はかわいそうで仕方がないと思ってしまう。あんなヤツの意思ひとつで生死が決まるなんてあってはならないとも思う。
今の自分の思いは「死刑判決は必要だけれど、死刑執行はしてはならない」でなんとなく納得し落ち着くことができるような気がする。現行法の死刑は維持し、凶悪犯罪に対しては「死刑」の判決は下す。死刑囚はいつ執行されるかわからない状況下に置かれるが、だけれども「執行」はされない。いつ執行されるかわからない状況下でこそ真に反省し「真人間」になれるのではないか。なんてことを思ったりしている。
「終身刑」の是非というのは、今の自分にはよくわからない。
最近のコメント